1958年(昭和33年)12月1日、天王寺〜白浜口間をキハ55系気動車による全車座席指定制準急列車「きのくに」が運行を開始。
1959年(昭和34年)10月20日、従来毎日運行の臨時列車であった「きのくに」1往復を定期列車化。
1966年(昭和41年)3月5日、準急制度改変に伴い、急行列車に格上げ。
1968年(昭和43年)10月1日、「ヨンサントオ」と称されるダイヤ改正に伴い、東和歌山駅を発着し紀勢本線内で完結する急行列車の内、阪和線・南海線直通の急行列車の愛称として「きのくに」の愛称が与えられる。これにより、「きのくに」は定期列車では天王寺発10本、天王寺行き8本、季節列車3往復、難波発着は定期列車3往復、季節列車1往復の体制となる。
1978年(昭和53年)10月2日、紀勢本線和歌山〜新宮間の電化完成に伴い、9往復に減便。
1980年(昭和55年)10月1日のダイヤ改正に伴い、「きのくに」3往復を格上げする形で天王寺〜白浜間の「くろしお」3往復増発。「きのくに」は季節列車を含めて6往復となる。
1982年(昭和57年)5月17日、関西本線名古屋〜亀山間電化に伴い、鳥羽駅乗り入れを終了し、天王寺・難波〜白浜・新宮・熊野市間及び紀伊田辺発新宮行のみの運行となる。
同年11月15日、天王寺〜新宮間運行の夜行列車を季節列車化する。
1984年(昭和59年)2月1日、夜行列車廃止。
なお、この時には「きのくに」は天王寺発は3本、天王寺行き5本・難波発着は2往復であったが、和歌山市〜和歌山間を除きほぼ「全区間架線下を走る気動車列車」となっていた。
1985年(昭和60年)3月14日のダイヤ改正により、「きのくに」は「くろしお」に昇格。これに伴い、紀勢本線・阪和線で運行する定期急行列車は廃止。
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