「つばめ」の愛称は、1930年(昭和5年)10月1日東京〜神戸間の特急列車として登場しました。
1960年(昭和35年)6月1日より、スピードアップを目的に車両を151系電車に置き換えられました。
1962年(昭和37年)6月の山陽本線広島電化に伴い1往復を広島駅まで延長とし、
東京〜広島間の長駆900km弱を通し運転する事になりました。
1964年(昭和39年)10月1日に東海道新幹線が開業し、
それに伴って山陽本線には「新幹線との連絡輸送」という新しい使命が生まれました。
同時に山陽本線の全線電化も完成したことによりダイヤ改正が実施され、
新大阪〜博多間に設定されました。
1972年(昭和47年)3月15日山陽新幹線の新大阪〜岡山間が開業し、
運行区間が岡山〜下関間に短縮されました。
1975年(昭和50年)3月10日山陽新幹線岡山〜博多間開業により、大規模なダイヤ改正が実施されました。
この当時、国鉄では財政が逼迫していたため、
増収を図るべく料金の高額な新幹線にできるだけ旅客を移行させることを考え、
東海道新幹線が開業した時のように一部の列車を存続させるようなことはせず、
昼行列車については全廃となりました。
JR化後に急行列車を廃止し、特急に昇格させたのもこれと全く同じ構図ですね。
*当時廃止となった特急列車*
「つばめ」「はと」「かもめ」「みどり」「しおじ」「日向」「月光」「きりしま」
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